【食】東京一のうなぎ、日本一のカレー

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先日は東京一のうなぎといわれるところにいってみた。
アントニオ猪木もちょうどきていたが、自分にとっては
あまりおいしい店ではなかった。
近くのうなぎやで天然のうなぎを買ってきて家で焼いた方がおいしいように感じた。
自分の舌がバカなのかもしれないが、そういうことではない気がする。
荻窪に日本一のカレーを出すというお店があるという
日本一という話を聞くと、まぁ方便だろうなと思いつつも

好奇心を刺激されてみて、実際にいってみる事にしたのだが実際にいってみると、たしかにおいしんだけど、日本一か?

という疑問をのこすこととなるだろうなと思っている。

味は確かに個人によりけりといったところが多い。
多いのだが、今回、なぜ自分が東京一、日本一とちょっと違うな
と感じたのかは別の意見をもっている。

それは時代の流れ、時代性だ。

どういうことかというと、以前は、インターネットが普及する以前は
個人が手に入る情報は、本や新聞によるものだった。そうすると
情報の配信元は自然と限られてくる

しかしインターネットが普及して、情報が個人が情報を配信でき個人で情報が手に入りやすくなると、

情報量の爆発とともにそれと同様にニーズが多様化されてきた。

どういう事かというと昔ならお笑い芸人でいえば、とんねるずとかダウンタウンなど、わかりやすく
NO.1がきまっていた。

簡単にいうととんねるずやダウンタウンが一番知名度が高く
一番面白いといわれていた

しかしいまは知名度としてNo.1はあるが、一番面白い芸人というと誰?と
30代以下の人にアンケートをとったら、きっと1位の芸人でも全体の20%の票が入らないだろう。

きっと漫画でも同じような現象は起こっている。

なぜこうなるかというとインターネットが普及して
個人で情報を配信できるので、情報の種類が増えた
といったことが本質的な理由だと思う。

例えば、いままで一番おいしい店というと
世間的にいう一番おいしい店だったのだろう、ある種メディアコントロールがかかったものだ

が、しかし

いまは、この時代は

あなたにとって一番おいしい店と

プロトコルが勝手に変換される時代なのだ。

SMAPが以前らいおんハートという歌で「NO.1にならなくていい、特別なONLY1」

といったような歌詞の歌を出したが、イメージ的には、個人のニーズはこのような形に変化している。

世間的なNO.1からあなたにとってのNo1へ

あなたにとってのNo1を別の表現でいうと

あなたにあった、自分にあった
ということだろう。

日本一のカレーよりも
自分にあったカレー

こういうように特に45歳以下くらいの価値観は
変化してきているように思う。

もちろんNo1などのことは江戸時代からそば番付、寿司番付(原型は相撲の番付)などの形であるので
すたれてはいかないだろうし、たとえば食べログでNo1だったりミシュランをとれば効果はあるだろう

しかし以前よりもその効果は減ってくるのではないだろうか。

逆に、その人にあったといったような価値観が増えていかざるを得ないだろう。

仕事としてもマス的なものよりある一定の範囲内のものが増えていく
のであろうなと思う。

これだけ日本を代表する大企業が苦戦してみるのをみると
火を見るよりも明らかではないだろうか。

わかりやすさという上でのNo1は重要だと思います

しかしこれからはあなたにとった、
自分にとったといった価値観が
時代の象徴となっていくのではないか

それに対してどういう風にいきていくものか
と日本一のカレーを目の前にして思うのである。